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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和47年(ワ)175号 判決 1979年2月26日

原告

芳賀武

原告

芳賀松枝

原告両名訴訟代理人

岡村共栄

畑山穣

川又昭

吉村駿一

岡崎一夫

原告両名訴訟復代理人

宮代洋一

被告

平林磐夫

右訴訟代理人

長島吉之助

主文

一  被告は、原告両名に対し、各金一〇〇万円およびこれに対する昭和五〇年三月三一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  申立

一  原告ら

1  主位的請求

被告は原告らに対し、別紙物件目録記載の建物のうち、二階部分を収去せよ。

2  予備的請求

(一) 被告は原告らに対し、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、神奈川新聞に別紙謝罪広告(活字の大きさは五号)を各一回掲載せよ。

(二) 被告は原告らに対し、各金一〇〇万円およびこれに対する昭和四七年一月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言を求める。

二  被告

1  原告らの主位的請求および予備的請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの経歴等

(一) 原告芳賀武(以下「原告武」という。)は、明治三三年山梨県に生まれ、大正六年渡米してコロンビア大学に学び、昭和二二年ニューヨークにおいて北米新報社を設立し、その後同社々長として現在のニューヨーク日米新聞社の礎を創り昭和三〇年帰国して、ニユーヨーク日米新聞の在日通信員として現在に至つている。

同原告は、右職務のかたわら、「アメリカの黒い地帯」をはじめとして多数の評論等の執筆活動を行い、さらに、昭和三八年、東京において「アメリカ研究所」を設立し、所長として活躍し、昭和四〇年後記病気により辞任するまでアメリカの文化、社会の研究、紹介活動に専念し、横須賀市野比に転居後は「現代朝鮮の基本問題」を英訳して出版したり回想録等を執筆したりしている。

(二) 原告芳賀松枝(以下「原告松枝」という。)は、明治四〇年に生まれ、日本女子大学英文科を卒業し、筆名を厚木たかと称して昭和九年PCL映画製作所(現在の東宝映画株式会社)に入社し、シナリオ作家となり、昭和一四年芸術映画社に移り、昭和二二年からはフリーのシナリオ作家として現在に至るまで執筆活動に専念してきた。同原告の執筆したシナリオ作品の主なものは昭和一七年「或る保母の記録」(文部大臣賞受賞)、昭和三〇年「セロ弾きのゴーシユ」(アジア映画祭特別賞受賞)、昭和三一年「おふくろのバス旅行」(教育映画最高賞、ブルーリボン賞を各受賞)等であり、シナリオ作品以外にも昭和三五年訳書「ドキユメンタリー映画」、昭和四一年著書「それでもなお私は働く」等多数がある。現在世界的なドキユメンタリー映画作家ヨリス・イヴエンズの自伝「カメラと私」を翻訳中であり、また「私のドキュメンタリー映画史」を執筆準備中である。

(三) 原告らは昭和三一年に婚姻した夫婦である。

2  原告らが肩書住所地に居を定めるに至つた経緯

(一) 原告らは、昭和四一年四月一二日、訴外三上光子から横須賀市野比字松葉二〇八八番原野三二八平方メートルおよび同所二〇八九番原野二〇九平方メートルを原告武持分一〇分の二、原告松枝持分一〇分の八として買い受け、原告松枝は昭和四一年九月、右土地上に木造瓦葺平家建床面積七六平方メートル(以下「原告建物」という。)を新築して昭和四二年二月一六日、所有権保存登記を受け、原告らは、昭和四一年一二月四日右建物に入居して現在に至つている。なお、前記原告ら共有地は、昭和四四年三月一七日二〇八八番一、二、二〇八九番一、二に分筆され、二〇八八番二および二〇八九番二については、原告松枝の姉の夫である訴外木村俊夫に譲渡され、原告建物の所在する原告ら共有地は、二〇八八番一原野二九九平方メートルおよび二〇八九番一原野一五二平方メートルとなつた。

(二) 原告らは原告建物に転居するまで東京都豊島区池袋西三丁目一三八八番地に居住していたが、原告武が昭和三九年に心臓神経症、胃ポリーヴ、胆のう炎等を患い、昭和四〇年国立ガンセンターに入院して胃の手術等を受け、その後も療養を要し、かつ、前記のとおり、原告らは精神活動が非常に重視される文筆業であつたため、療養および文筆活動に適当な土地に移住することを決意し、数ケ所の候補地中から前記土地を選んで、この地に居宅を建築して転居するに至つたものである。

3  原告ら共有地の立地条件

(一) 原告ら共有地は、旧法では住居地域であつたが、昭和四五年六月の改正により第一種住居専用地域となつた。

(二) 原告ら共有地は野比海岸から約三〇〇メートル離れた丘陵の中腹(海抜三〇ないし四〇メートル)にあり、丘陵は南に傾斜している。この地帯は都市化の波を受けながらもいまだ多くの原野、畑地、林、農地等を残す農漁村地域である。

(三) 原告ら共有地の特長はその眺望の素晴らしさにある。すなわち、原告ら共有地は、東京湾の入口に位置するので、眼下に半農半漁のひなびた家並みと松林、中間に浦賀水道の潮の流れとそこをいきかう様々な船舶、遙か東に房総半島の山々、西に三浦海岸から剣崎に至る丘陵をパノラマ式に見渡すことができる。

4  原告らの眺望権

(一) 眺望権の一般的保護性

日本国憲法は、その第三章第一三条にて生命および幸福追求に対する国民の権利を定め、同第二五条において健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を定める。これらの条項に定められた「幸福」および「文化」は抽象的一般的な概念であり、これ自体からはその保護される「幸福」「文化」の度合を具体的に導き出すことはできない。しかし、かかる概念が法律上の概念として条文に規定されている以上、それ自体、一定の規範的意味をもつたものであり、その依拠する経済、社会の構造、思想、風俗、習慣と無関係に存在するものではありえない。すなわち、何が幸福であるか、何が文化的たりうるかは、その主体である個人の主観的意識――かかる主観的意識も、その人間の位置する経済的、社会的、歴史的条件と全く無関係に成立しうるものではなく、むしろそれらの反映として成立するわけであるが――に大きく左右されながらも、総体的にはその時代における経済的社会的条件、そしてその反映としての思想、更に法規範意識を全体として把握することにより、一般的に規定しうるものである。

そこで現代社会の法体系のもとでは、右の憲法上の保障を具体化するために様々な立法がなされており、公害関係諸立法等がその代表的な例である。そして、これらの法律による規制の結果として、適用地区の住民は、これにより一定の環境基準のもとに保護されて生活する権利、すなわち環境権を有するのである。かかる環境権の具体的内容については、明文において法制化されているものは格別、明文によらぬものについては、判例、学説、慣習、条理等から判断されなければならない。

眺望を享受する権利については、これを正面から保障する明文の規定は未だ存在しないが、すでに外国等においては一部法制化されたところもあるし、我国においても権利濫用等の法理により事実上それを保護する判例もいくつか存在する。かかる前例を検討し総合したとき、一定の要件――すなわち、先住民が眺望を享受することが主観的にも客観的にも当該土地に立地することを決定するに当つての重要な要素となつていると認められる場合は、これを後住民に対して保護するに値するものとして、これが濫用にわたらぬかぎり、それを権利として認めるべきである。

右権利の法律上の性質は物権ないし人格権の一種としてこれを侵害するものに対して妨害を排除しうる権利である。

(二) 原告らの具体的な眺望権取得

(1) 原告らは、原告ら共有地上に、眺望を大幅にとり入れた設計のもとに原告建物を建築し、昭和四二年一二月四日、右建物に入居したことにより具体的な眺望権を取得した。すなわち、まず、より良い眺望を得るため(しかし、周囲の環境と調和する限度で)南側の床を1.5メートル高くした。次に、南側の眺望をパノラマ式に享受できるよう、南側の外壁部分を出来る限り少なくし、可能な範囲で窓を大きくとり、かつ、南側にテラスを設置し、天候の良い日は右テラスから一八〇度眺望できるようにした。

さらに、日常生活においても最も使用度の高いダイニングキツチンを八畳間もとり、しかも南側に設置した。書斎、居間(応接間)を南側にとつたのも眺望上の配慮であることはいうまでもない。部屋のうち北側に配置したのは4.5畳の和室一間であり、これは寝室である。

(2) 原告ら共有地付近は、前記のとおり、並はずれて素晴らしい自然景観に恵まれた地域であり、地域住民の間に二階建を超える建物を建築せず、互いに眺望を確保し合うという地域慣習が存在する。原告らは、右慣習に従い、平家建の家屋とし、屋根を方形にとり、外観、形を控えめにして自然に溶け込むように配慮した。したがつて、原告らは、右慣習によつても眺望権を取得した。

5  眺望権の侵害

(一) 被告は昭和四二年中に原告ら共有地の南側隣地である同所二一八〇番二畑三三〇平方メートルを訴外三上保之助から買い受けてそのころ所有権移転登記を経由し(同時に訴外相羽有は同所二一八〇番一畑四九五平方メートルを同一所有者から買い受けて所有権移転登記を受けた。)、昭和四六年一一月一九日右土地上に原告建物に近接して別紙物件目録記載の建物(以下「被告建物」という。)を建築した。

(二) 被告建物は、鉄筋コンクリート造りで建物自体は二階建であるが、いわゆるピロテイー形式で、高さ2.5メートルのピロテイー部分が存するため、建物の一階部分が通常建物の二階部分に、二階部分が同じく三階部分に該当し、基礎部分を含めると実質的には四階建である。そのため、被告建物の二階部分によつて、原告建物のうち、ダイニングキツチンに座つた位置すなわち床上の高さ1.1メートルを視点にするとダイニングキツチンからの眺望はほぼ遮蔽され、見えるのは空と被告建物の鉄筋コンクリートの堅い外壁とアルミサツシ製の窓だけとなつた。他の部屋からはわずかに海が見えるが、原告らの眺望の特徴であるパノラマ式の景観は鉄とコンクリートで遮蔽され、その眺望に違和感を生じさせ、原告らの眺望独特の潤いを奪い、パノラマ式の眺望を台無しとした。

(三) 被告建物の独善性と排他性

原告建物がその南側に眺望をとり入れた設計をしていることは一見して明らかである。つまり、建築学的には借景の手法で、被告所有の土地の上空は原告建物の外部空間として設計されている。被告は、右外部空間を侵害し、しかも地域慣習を無視して四階建ともいうべき高層建築物を建築したのである。

被告建物はピロテイー部分の上、一階と二階部分に、南側全部および東西の両側に幅約二メートルのバルコニーを設計し、背後の原告らの眺望を壊滅的に侵害しながら、自己の眺望のみを必要以上に亭受している。さらに、被告はピロテイーによつて被告建物を2.5メートル(土台を入れるとそれ以上)も高くして原告らの眺望侵害を惹起した。本件地域は乾燥した土地であつて、湿気を考慮する必要はないのであるから、右ピロテイーは、自己の眺望確保を唯一の目的として設置されたものといわなければならない。

そもそも、ピロテイーは建物を自己の目的のためにのみ利用する従来の建築様式を打破し、地上階を自動車、公衆の使用に開放するための建築様式であつて、その根底の思想は建築の社会公共への開放にある。被告建物のピロテイーは、逆に、自己の利益のみを追求するもので、ピロテイーの根本思想に反する独善的なものである。右ピロテイーがなければ、被告建物は通常の高さの二階建となり、原告建物からの眺望を遮蔽することはなかつたのであり、更に東西両面のバルコニーの設置によつて右眺望遮蔽の程度をより大きくした。

(四) 代替案の不採用(回避可能性)

被告は現在地でなく、僅かにずらして周辺の土地を購入して建築すれば原告らの眺望を侵害することはなかつた。さらに、被告所有地上に建築するにしても、ピロテイー部分を設けず、普通の二階建にするか、かりにピロテイーを造るとしてもピロテイー部分およびその上階の高さを若干低くすれば、眺望侵害を回避できたのである。

これらの代替案(回避案)は、誰でも簡単に思いつくもので、費用も安いにもかかわらず、被告はこれらを一切検討せず、眺望侵害回避の努力を全くしていない。

(五) 「いじわるの家」(制裁的機能)

被告建物は、かのベイルートの「いじわるの家」に匹敵する。右「いじわるの家」は、「ある隣人から地中海の眺望を奪うことによつて、その隣人を罰するために建てられた。」といわれている。被告建物も、単に原告らの眺望を奪うだけでなく、むしろ、原告らを理由なく罰するために建てられた。もし、原告建物の周囲が既に宅地化され建物が林立しているならば、右のような眺望侵害も制裁的機能を果すことはない。本件の場合、周囲は原野、畑地など広く空地であるのに、わざわざ原告建物のすぐ南に隣接して高層の別荘を建てるところに制裁的機能が発生するのである。

6  被告の害意

建物の建築に当つては隣接地の住民に設計図等を示して了解を得ることが社会常識である。日照阻害など環境アセスメント(環境影響調査)が厳しく求められている今日においてはなおさらである。しかるに、被告の代理人として被告建物の建築に当つてきた訴外相羽有(被告の妻の父)は被告建物の高さについて虚偽の事実を原告らに告げ、被告建物の設計図等は一切秘匿して見せず、二一八〇番一の土地上に同時に建築する相羽自身の通常の二階建の居宅の見取図のみを示し、原告らに対し、被告建物が相羽宅と同じ間取りと高さである旨信じ込ませたのであり、建築に着手後も、四度以上にわたる原告らの抗議をことごとく無視し、さらに、横須賀市建築指導係長を交えての会談の中で「前向きに検討する」旨約束しながら、これを一切踏みにじつて工事を急ぎ、完成させてしまつたのである。

7  収去請求権

(一) 原告らは、都市生活の一切の利便を犠牲にしつつ、本件眺望を得るためにのみこの地に移転してきた。本件眺望は文筆業に携わる原告らの日常生活に溶け込み、知的・情緒的・文化的営為に無限の潤いと刺激をもたらしてきた。しかるに、今や原告建物の正面(南側)には自然の景観のかわりに灰色の情緒のない、固い、無味乾燥な被告建物の二階部分の外壁が立ちはだかり、外を眺めるたびに却つて胸がむかつき、前述の原告らの営為は意気消沈してしまつた。そして、このような状態は一過性のものでなく未来永久に存続する。このような被告の行為は、社会通念上許された範囲を超えるものである。レストラン・旅館等の眺望よりも、原告らのように文筆業に携わる者にとつての眺望こそは、人格的生活利益として保護されなければならない。

(二) コミユニテイーの利益や隣人の利益を押えつけ、傍若無人に振舞う被告建物の存在が許容されるならば、人間尊重よりも経済を優先させる社会関係をその精神的風土とする独善的・排他的な風潮が一層助長されるであろう。被告建物が引金となつてますます本件地域の環境が破壊され、看過しえない社会公共の損失と弊害を生ずる。

(三) これにひきかえ、被告建物の二階部分を収去することによる被告の損害については、第一に何よりも自ら招いた結果であり、その損害は経済的なものにすぎず、かつ、被告の職業や経済能力を考慮すれば軽微といつてよい。第二に、被告建物は個人の別荘であり、その一階、二階部分はそれぞれ独立した間取りとなつているので、二階部分の収去によつて別荘としての価値を損うことはなく、社会的公共的損害を生ずることもない。また被告建物の使用頻度(一年に一週間位)に徴しても、その損害は、前記原告らの損害および社会公共的損害に比して極めて軽微である。

(四) 本件土地の周辺の住民も半農半漁の地域環境の中でひつそりと自然に溶け込むように暮してきた。ところが、被告は財力にものを言わせ、丘の中腹に、しかも周囲の空地を避けてわざわざ原告建物の南側を選んで鉄筋コンクリートの白亜の殿堂を建てた。この白い建物は周囲の環境の調和などはおかまいなく聳え立ち住民を睥睨する。

このような無暴極まりない暴力に法は無力なのか。眺望権自体は権利として肯認されているが、本件の場合、その発動は無理なのであろうか。平和的手段で正義を求める力は既成事実の前に屈服しなければならないのだろうか。不正義の既成事実を認めるならば、却つて被告の如き独善的・排他的態度を助長させよう。法が無力であるとすれば暴力には暴力で対抗するほかなく、法の信頼すなわち司法の信頼は崩壊の途を辿る以外にはない。前記建築の独善性、排他性に対し、断固とした司法的抑制が加えられなければならない。司法的抑制の本質は秩序の抑制ではなく秩序の蘇生というべきものである。原告らが提訴したゆえんもまさにこの点にある。

8  謝罪広告および損害賠償請求権

(一) 原告らは、前記のような被告建物の社会制裁的機能によつて理由なく面罵され、社会的評価を著しく傷つけられた。

(二) 原告ら共有地(約九〇坪)は時価にして一八〇〇万円(坪当り二〇万円)を下らないが、本件眺望侵害によりその価値は半減し、もはや原告ら共有地および原告建物については買い手さえいない。

(三) 原告らは前述のとおり、被告建物の社会制裁的機能によつて、社会的評価を著しく傷つけられ、名誉を毀損された。その回復は金銭による賠償では不可能であるから、被告は別紙のごとき謝罪広告を予備的請求の趣旨掲記の各新聞に掲載し、原告らの原状回復的救済をなすべきである。また、被告は前記のとおり害意をもつて違法に原告らに対し、精神的・物質的損害をもたらした。物質的損害としては、本件眺望侵害により原告ら所有の土地・建物の価値が半減したことによる価格低落分として九〇〇万円を下らず、精神的損害も原告ら各自につき一〇〇万円を下らない。

9  総括

よつて、原告らは、被告に対し、主位的請求として、民法九二条により、仮りに原告ら主張の事実たる慣習の存在が認められない場合でも、人格権としての眺望権に基づく妨害排除請求として、または権利乱用の法理により、被告建物の二階部分の収去を請求し、予備的請求として、民法七二三条による謝罪広告ならびに民法七〇九条による損害賠償の内金として各自金一〇〇万円およびこれに対する被告の不法行為の日の後である昭和四七年一月一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(原告らの経歴等)は不知。同2(原告らが肩書住所地に居を定めるに至つた経緯)(一)は認める。同(二)は不知。同3(原告ら共有地の立地条件)(一)(二)(三)は認める。

2  同4(原告らの眺望欄)(一)については争う。原告らが主張する眺望を亭受する権利は純主観的な精神的なもので、積極的な内容を持つ権利ではない。

(一) わが国でも、ここ数年、環境侵害に対する司法的救済は格段に前進した。日照権、通風権、静穏権等がそれである。これらの権利者が被害を受けたときは、直接日常生活に支障をきたすばかりでなく、身体生命を害する蓋然性があるからである。しかし、眺望権にはそれがない。眺望を亭受する利益なるものは、積極的な内容をもつ権利ではない。仮りに眺望権と称してみても、それは甚だしく不法不当な侵害に対して救済を求めうるという意味での権利にすぎない。また、原告が主張するような、先住民と後住民との関係において、先住民が一定条件のもとに若干でも優先的に保護される性質の権利でもない。もし、先住民に有利な地位を確保するような眺望権を認めるならば、後住民の土地所有権は有名無実に帰するであろう。

(二) そもそも、「眺望利益なるものは、個人が特定の建物に居住することによつて得られたところの、右建物の所有ないしは占有と密接に結びついた生活利益であるが、もとよりそれは、右建物の所有者ないしは占有者が建物自体に対して有する排他的、独占的支配と同じ意味において支配し、享受しうる利益ではない。元来風物は誰でもこれに接しうるものであつて、ただ特定の場所からの観望による利益は、たまたまその場所の独占的占有者のみが事実上これを享受しうることの結果として、その者に独占的に帰属するにすぎず、その内容は、周辺における客観的状況の変化によつておのずから変容ないし制約をこうむらざるをえないもので、右の利益享受者は人為によるこのような変化を排除しうる権能を当然にもつものということはできない。」「法的保護に値する眺望利益といえども、前述のように、本来当該建物の所有者ないし占有者において、常に完全な形でその享受を要求しうるものではなく、他の競合利益との調和においてのみこれを容認せられるべきものであるから、右の眺望利益に対し、その侵害の排除又はこれに対する被害の回復等の形で法的保護を与えうるのは、このような侵害行為が、具体的状況の下において、右の利益との関係で、行為者の自由な行動として一般的に是認しうる程度を超えて不当にこれを侵害するようなものである場合に限られるものと解すべきである。」(東京高裁昭和五一年一一月一一日決定)。

3  同4(二)は、原告らが原告建物を建築し、その主張の日に右建物に入居したこと、右建物の構造、間取りが原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。原告主張の地域慣習などは存在しない。当地方では、いなさ(東南風)による暴風雨を避けるため、木造家屋では二階建を越える建築をしないのが実情であつた。

原告らにいかなる主観的、客観的理由があるにしても、常に原告らが東京湾の眺望を一八〇度の視野において享受する利益を有するものではない。被告建物により一部眺望を妨げられたとはいえ、左右の視野には依然として広く空海の青が展開し、原告らが享受する眺望には事欠かない。もし、原告にして常に一八〇度の眺望を確保しようとするのであれば、それは東西の土地を広大に取得しかつ占有するほかない。被告は、原告と同様に眺望を享受しようとしているのである。地域人口の増加によつて住民共有の環境対象が細分化されることは不可避的な物理法則であるから、たとえ先住民といえども、受忍すべき限度内の生活不利益は甘受しなければならない。

4  同5(眺望権の侵害)(一)は認める。同(二)(三)のうち被告建物の構造は認めるが、原告建物からの眺望の支障については不知。その余は争う。

被告建物のバルコニーは被告所有地内において建物内部と建物外部空間との間にワンクツシヨンを置いて、建物利用にゆとりをもたらす目的(バルコニー設置の一般目的)のために設計かつ設置されたものである。

被告建物をピロテイー様式に設計建築したのには二つの理由がある。その一は地形の関係である。被告所有地の原姿は傾斜地であつたので、これを一部削り一部土盛りして宅地造成した結果、現況のとおり被告所有地の地表は道路面より約二メートル低くなつた。そこで、少なくとも一階の床が道路面と同一の高さでないことには人の出入、荷物の搬出入等に支障があるうえ、道路面上に流出してくる雨水の自然排水が被告建物内に侵入してくることにもなるので、道路面まで一階を高床にしたのである。その二は、湿気予防のためである。湿気は、土地自体から発生するものばかりでなく、海上から吹きつける塩風による塩分を含んだ湿気も発生し、一階の階下は倉庫にも利用できないから、通風保持のため空間を維持せざるをえないのである。

同(四)(代替案不採用)の主張は争う。被告は、被告土地を以て必要にしてかつ十分であつたから、他に土地を購入しなかつたのであるが、被告土地の周辺に他人の土地があるからと言つて直ちに購入しうるものとは限らない。

ピロテイーは被告の眺望のためとか原告らの眺望を侵害するためのものではないから、代替案を採用する必要はない。

同(五)(「いじわるの家」)の主張は争う。

被告建物は、建築基準法にもとづき、横須賀市の確認を受けて合法的に建築されたもので、原告らを理由なく罰するがごとき社会的制裁の役割を果す建物ではない。原告らは自家に坐して前面一八〇度の展開、王候の眺望を不可侵のものとし、排他的、独善的発想のもとに主張を進めるから、被告の行為のすべてが害意、悪質に看取されるのである。

被告は、原告らの眺望の便宜を考慮して、隣接の相羽邸から一一メートルの間隔を置き、自己の敷地の一方に片寄せて建築しており、被告建物の高さは北側道路面よりみれば二階建に止めている。

5  同6(被告の害意)の事実は、訴外相羽有が被告の妻の父であること、被告建物の建築とともに右訴外人が二一八〇番一の土地上に同時に自己の居宅を建築したことは認めるが、その余は否認する。右訴外人は自己の新築家屋のことを原告らに説明したものである。被告建物の設計図面は現場に常置してあつたから、誰でも自由に見ることができた。

原告らが被告の土地の上空を原告ら建物の外部空間として排他的に支配すべき法律的根拠条文、慣習、合意等は何も存在しないから、被告が被告土地の上空をも含めてこれに建物を築造することは、利用制限の付着していない所有権の正当な行使であつて、被告には原告ら主張のような害意はない。

6  同7(収去請求権)(一)(二)の主張は争う。同(三)は否認する。

被告は将来本件建物に家族全員(被告夫妻、娘二人、被告の父母以上六名)で居住する計画であるから、二階が必要である。

被告建物は鉄筋を組みこれにセメントを流し込んだコンクリート構造物であるから、二階部分を収去すれば残存構造物の至るところにひび割れが生じ、結局一階も撤去し、新たに建築しなおさなければならなくなる。

同(四)の主張は争う。わが国の裁判所は「法の番人」ではあつても、直接に社会や文化の番人ではない。眺望権のような新しい権利は、立法と行政措置の積み重ねが優先かつ実在してこそ司法の裏付けと相俟つて完全権として独歩するに至るのである。性急な司法的抑制論に左袒すべきでない。

7  同8(謝罪広告および損害賠償請求権)の主張は争う。

(一) 民法七二三条にいう名誉とは、人がその品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価、すなわち社会的名誉を指すものであつて、人が自己自身の人格的価値について有する主観的な評価、すなわち名誉感情は含まないものと解すべきである(最判昭和四五年一二月一八日)。被告は、もともと名誉毀損の加害者ではないが、かりに原告らが主張するように被告が「いじわるの家」的制裁を原告らに加えているとしても、原告らの名誉感情は害されるかもしれないが、社会的名誉に影響はない。むしろ原告らは社会的に同情されるであろう。したがつて、名誉回復のための謝罪広告の請求は失当である。

(二) 原告ら共有地の昭和五三年度の評価額は、二〇八八番一が一万〇四〇〇円、二〇八九番一が四四〇〇円、同年度の固定資産税課税標準額は二〇八八番一が九四六〇円、二〇八九番一が四三五六円であつて、いずれも地方税法三五一条によつて固定資産税の課税標準となるべき額が一五万円に満たないから、課税対象からはずされている。横須賀市は同条但書による課税措置の市条例を定めていない。右土地は建物の敷地部分は現況宅地であるが大部分は原野のままであり、これを宅地と同様に評価することは相当でない。むしろ僅かな固定資産税も課せられない位の価値のない土地で時価一八〇〇万円もするはずがない。

原告ら共有地は眺望を営業目的とする観光地ではないから、取引価格に原告ら主張のような変動はありえない。精神上の損害請求もまた失当である。

三  抗弁

仮りに、原告らが被告に対し損害賠償請求権を有するとしても、右請求権は時効により消滅している。すなわち、被告が被告建物の建築を完成したのは昭和四六年一一月一九日であるが、原告から建物収去を請求する本訴を提起したのは昭和四七年一〇月三日であり、損害賠償請求の予備的申立を記載した準備書面を裁判所に提出したのは昭和五三年三月三一日であつて、原告らが損害および加害者を知つたのは被告が被告建物を建築完成した時あるいは遅くとも訴提起のときであるから、その損害賠償請求権は昭和四九年一一月一八日あるいは遅くとも昭和五〇年一〇月二日の経過とともに時効によつて消滅している。被告は右消滅時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

被告主張の抗弁事実中、事実関係は認めるが、本件眺望侵害のような不法行為が継続して行われ、そのため損害も継続して発生する場合には、損害発生が継続する限り、日々新しい不法行為に基づく損害として各損害の発生およびこれを知つた時から別個に消滅時効が進行するのであるから、消滅時効の抗弁は理由がない(大審判昭和一五年一二月一四日)。

第三  証拠関係<略>

理由

一原告らが横須賀市野比字松葉二〇八八番一原野二九九平方メートルおよび同所二〇八九番一原野一五二平方メートルを、持分原告武一〇分の二、原告松枝一〇分の八をもつて共有し、原告松葉が昭和四一年九月同土地上に木造瓦葺平家建居宅床面積七六平方メートル(原告建物)を建築し、同年一二月四日原告両名が右建物に入居したこと、右原告ら共有地の立地条件が請求原因3(一)(二)(三)記載のとおりであること、原告建物の構造、間取りが原告ら主張のとおりであること、被告が昭和四二年中に右原告ら共有地の南側隣地である同所二一八〇番二畑三三〇平方メートルを訴外三上保之助から買い受け、昭和四六年一一月一九日右土地上に別紙物件目録記載の建物(被告建物)を建築したことは当事者間に争いがない。

二前段認定のとおり原告ら共有地は横須賀市野比海岸から約三〇〇メートル離れた丘陵の中腹で海抜三〇メートルないし四〇メートルの南傾斜の高台であり、原告建物は右土地上に存する木造平家建居宅であつて、右原告建物からは「眼下に半農半漁のひなびた家並みと松林、中間に浦賀水道の潮の流れとそこをいきかう様々な船舶、遙か東に房総半島の山々、西に三浦海岸から剣崎に至る丘陵をパノラマ式に見渡すことができ」ていた。これらの眺望が被告建物によつてある程度妨げられるに至つたことは、被告の明らかに争わないところであるが、その具体的事実についてなお以下に検討する。

被告建物の構造が鉄筋コンクリート造りで建物自体は二階建であるが、いわゆるピロテイー式構造で、高さ2.5メートルのピロテイー部分が存するため、建物の一階部分が通常建物の二階部分に、二階部分が同じく三階部分に該当し、ピロテイー部分の上、一階と二階部分に南側全部および東、西側に幅約二メートルのバルコニーを設置したものであることは当事者間に争いがない。

1  しかして、<証拠>(被告建物の配置図案内図、立面図、一、二階平面図)、<証拠>(被告建物および原告建物の写真)、<証拠>(建物確認通知書、同添付被告建物の配置図、同立面図、同平面図)および検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  被告建物の本体は、屋根部分がやや北側に下り勾配となつている直方体(総二階)で、その東西の長さ(間口)は15.60メートル、南北の長さ(奥行)は7.60メートル(いずれもバルコニー部分を除く)であり、土台上からの高さは南側は約9.2メートル(煙突を除く)、北側は約九メートルである。一階下部は土台からの高さが2.6メートルのピロテイー(柱のみの構造部分)となつており、一、二階部分には東、南、西側に幅1.8メートルのバルコニーが本体から張り出して設けられている。一階部分の高さは約三メートル、二階部分のそれは約3.6メートルで、一階部分の床面積は113.182平方メートル、二階部分のそれは112.62平方メートルである。建築面積は157.627平方メートル、ピロテイー面積は145.57平方メートルである。

(二)  被告建物敷地の実測面積は461.88平方メートルで、その南側の払い下げ予定地たる国有地を含めると約六〇〇平方メートルである。整地後の被告土地の高さは北側の道路面より約二メートル低くなつており道路の南側ノリ部分が崖状となつて右被告土地に接している。被告建物は被告土地の東西のほぼ中心に北側に寄せて建てられ、ピロテイー上の一階部分の床が右道路と同一水準となつており、建物本体から張り出して設けられた玄関から、手すりのついた橋を右道路にかけ渡してある。

(三)  原告建物は前記道路の北側に、右道路から約二メートル高くなつた原告ら共有地上に建てられた木造平家建居宅でその正面(南側)の床は地上から約1.5メートルの高さに作られ、その軒の高さは、ほぼ被告建物の屋根上面の高さと同一である。原告建物の正面と被告建物の北側部分が幅員二メートルの道路を隔てて相対する配置となつており、道路の南側と被告建物の玄関との距離は約六メートル、被告建物本体の北側から原告建物南側までの直線距離は約15.40メートルである。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  <証拠>(高見澤邦郎作成の書面)、<証拠>(昭和五二年一一月一五日実施の釈明処分としての検証の結果を含む)を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  本件各土地付近は、半農・半漁の村落で、本件土地と海岸との中間部分の平地一帯に民家が散在する程度であつたが、昭和四〇年ころから丘陵の斜面にも家屋が建築されて一部住宅地域化される傾向にある。原・被告各建物から五〇メートルの範囲内のうち、南西側には建物はなく、東側に一〇数戸の民家が散在するが、いずれも木造で二階建または平家建である。右民家の間や付近の丘陵は原野、田、畑であり、なお多くの樹木が残存している。

(二)  被告建物によつて、原告建物南側各居室からの眺望は、各室中央部で椅子に腰をおろした高さ(床上約1.1メートル)において、ダイニングキツチンでは約七六パーセント、書斎では約五七パーセント、居間では約三四パーセントが失われ、原告らの使用頻度の最も高いと認められるダイニングキツチンから見えるのは、被告建物北側二階部分の鉄格子のはいつた窓と鉄筋コンクリート壁となつてしまい、左右にわずかに海が見えるものの、三浦海岸から剣崎に至るまでの丘陵等原告建物の従前の眺望のうち最も良い部分が被告建物によつて塞がれ見えなくなつてしまつた。

(三)  原告らは、原告ら共有地を購入して建物を建築するに際し、前記のような近隣の土地利用の状況から、その南側土地に通常の二階建程度の建物は建築されるものと予測していたが、本件のごとき、高さ九メートル以上でしかも幅の広い建物が建築されるとは予想していなかつた。

以上の事実が認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

三原告らは、原告ら共有地附近の地域住民の間に、二階建を超える建物を建築せず、互いに眺望を確保し合うという地域慣習が存在すると主張する。前認定のとおり、原告建物、被告建物附近に存在する民家はいずれも木造二階建または平家建であるが、右地域は半農半漁の村落で右民家の間や付近の丘陵は原野、田、畑であり、なお多くの樹木が残存しているのであつて、浦賀水道、房総半島、三浦海岸、剣崎をパノラマ式に見渡しうる南傾斜の土地ではあるけれども、これらの景観を目的とする観光地ではなく、また別荘地帯となつているものでもない。このような半農半漁の村落における民家が木造二階建または平家建であることは、わが国一般の状況であるから、このような事実から原告主張の地域慣習が存在すると認定することはできず、その他にこれを認めるに足りる証拠はない。

四また原告らは、原告らが精神活動を重視される文筆業であること及び原告武が療養を必要とする身であることから眺望を確保する必要があり、そのため第三者から侵害されえない眺望利益としての眺望権を有すると主張し、かつ、先住民が眺望を享受することが主観的にも客観的にも当該土地に立地することを決定するに当つての重要な要素となつていると認められる場合は、これを後住民に対して保護するに値するものとして、これが濫用にわたらぬかぎり、それを権利として認めるべきであると主張する。

もとより人の生活の場としての住民からの眺望は、美的満足感や精神的休らぎを得る点において少なからぬ意義ないし価値を有するものであることはいうまでもないが、眺望すなわち視覚対象としての風物は住民が等しく享有すべき無形の財産であり、それ自体が当然にこれを観望する者の私権の対象となるものではない。これを観望しうるのは当該風物と観望者との中間に遮蔽物が存在しないという偶然の事実によるのであつて、本来それは一種の反射的利益たるにすぎない。被告も主張するように、地域人口の増加によつて住民共有の環境対象が細分化されることは不可避的な物理法則であるから、たとえ先住民といえども、当該風物との中間に後住民が私権を行使することにより観望を妨げられる結果となつてもそれが受忍すべき限度内であるかぎりはこれを差し止めまたは除却することはできない道理である。そしてこのことは、当該先住民が精神活動を重視される文筆業であることや療養を必要とする身であることによつて差異を生ずるものではない。いわゆる相隣関係による私権行使の制限についてもこのことは同様である。したがつて右原告の主張中、前段の部分は採用できない。

しかしながら、前段までに認定した諸事実によれば、原告らがこの地域のもともとからの住民でなく、原告ら共有地からの眺望を主体とする環境を享受するため居を定めたものであり、このことは、原告らより後にこの地に居を求める者に明らかに看取されえたものと認められるのであるから、被告が原告建物の前面に原告建物に比して遙かに巨大な鉄筋コンクリート造りの被告建物を建築するに当り、原告らの眺望への影響を配慮する必要がなかつたかについては、なお検討すべき問題がある。

原告らの主張する眺望権なるものは、その所有土地建物に居住していることによつて得られる生活利益の一種をいうものであるところ、眺望も、地域の特殊性その他特段の状況下において、右眺望を享受する者に一個の生活利益としての価値を形成しているものと客観的に認められる場合には、濫りにこれを侵害されるべきでないという意味において法的保護の対象となると解すべきである。

そこで、本件について、原告らに法的に保護されるべき眺望利益が存在するか否かについて検討するに、右のごとき利益が存するためには、当該場所からの眺望享受者が、単に主観的に右眺望に愛着を抱いているというだけでは足らず、(イ)景観についての一般の通念からみて、その景観を眺望することによつて、美的満足感を得ることのできる眺望価値のある景観が存在すること、(ロ)当該場所の場所的価値がその景観を眺望しうることに多く依存しているものと考えられる場所であること、(ハ)当該場所の周辺土地の利用状況に鑑みて、当該場所からの眺望を保持せしめることが、当該場所の利用にふさわしく周辺土地の利用と調和すること、等が要求されるものというべきであり、さらに、右のごとき眺望を享受する主体については、当該場所を正当な権原によつて占有し、継続使用する者ないしは使用継続しうる地位を有する者であることが必要と考えるべきである。

本件土地の立地条件および原告らがこの場所に居住するに至つた経緯については前段までに認定したとおりであり、その景観が特に優れていることは被告も認めるところであつて(被告自身、これらの景観展望を主たる目的として被告建物を建築したものである。)それを観望するものに少なからぬ美的満足感を生じさせるものであることが明らかである。そして原告建物が居住用建物であり、右のような景観をその生活に取り入れたものであること、原告らがその日常生活において眺望を享受する目的で原告ら共有地上に原告建物を建築して居住していること、原・被告建物周辺の土地は、右のような景観を主体とする観光地もしくは別荘地帯ではないが、原・被告建物付近に存在する民家はいずれも木造二階建または平家建で、互いに眺望を阻害しておらず、民家の間や付近の丘陵は、原野、田、畑であり、なお多くの樹木が残存していること、その他前段認定の事実関係のもとにおいては、原告らに原告建物からの眺望を保持せしめることがその土地・建物の利用にふさわしく、周辺の土地の利用と調和するものと認められる。

したがつて、原告ら共有地および原告建物からの眺望による利益は、法的保護に値するものというべきであるが、このような法的保護に値する眺望利益といえども、常に完全な形でその享受を要求しうるものではなく、他の競合利益との調和においてのみ容認されるべきであることは当然であるから、右の眺望利益に対し、その侵害の排除またはこれによる被害の回復等の形で法的保護を与えうるのは、侵害行為が、具体的な状況のもとで一般的に是認しうる程度(換言すれば眺望利益を有する者の受忍すべき限度)を超えた場合に限られる。

一方、民法第一条は私権は公共の福祉に従うべきこと、私権の濫用は許されないことを規定している。土地の所有権は上空および地下に及び、法令による制限を受けないかぎり所有者は自由にこれを利用することができる。前述の相隣関係についての民法の諸規定は右の法令による制限の一種であるが、たとえ法令の制限に触れない場合であつても、所有権の行使が権利の濫用に当る場合は、それが不法行為を構成することにもなり、その程度が著しい場合は、右権利濫用行為の差止めまたは権利濫用によつて生じた法律状態の回復を請求することも許されるものといわなければならない。

1  そこで、被告建物が建築された経緯について検討する。

<証拠>(被告建物の建築中および完成後の写真)、<証拠>(土地・建物登記簿謄本および横須賀市長の認証ある公図写)、<証拠>(土地・建物登記簿謄本)、<証拠>(公図写)、<証拠>(原告ら作成の書面)、検証の結果を総合すれば、被告の妻の父である訴外相羽有は被告と同時に被告建物の敷地と地続きの土地を買い受けて自己の居宅を建築したものであるが(このことは当事者間に争いがない。)、被告は多忙な産婦人科開業医で、被告建物建築の一切を右相羽に委せていたこと、相羽は、昭和四二年一二月ころ原告方を訪問し、相羽邸および被告建物を建築することにした旨挨拶して以降原告方を何度も訪れたが、原告らに被告がピロテイー部分を含めると実質的には三階建の建物となることについて全く知らせなかつたこと、原告松枝は、昭和四六年四月二六日、被告建物の土台部分が出来上がつた段階で、その土台の規模から被告建物がかなり大きなものとなることをはじめて知り、翌二七日、横須賀市建築指導課において被告建物の設計図を閲覧して、被告建物が九メートルを超える高さで原告建物からの眺望を大幅に阻害するものであることを知つたので、右建築指導課に善処方を依頼し、同年五月二四日、同課において、指導担当者の立会のもと相羽有と会合する機会を得、相羽に対し原告らの眺望を阻害しないようにすることを申し入れたが、相羽が応じなかつたため話し合いは進まず、その後、原告両名は数度相羽に同旨の申し入れをしたが全く容れられず、被告建物が完成されるに至つたことが認められる。

2  更に加害回避の可能性について検討する。

<証拠>を総合すれば、被告建物の現在の間取りを変更せず、しかも南側に三階建の建物が建築されても眺望を確保できるだけの条件を満たす代替案として、(イ)現在2.6メートルある被告建物のピロテイー部分を2.1メートル削り床下五〇センチメートルとする(この場合には一階北側を若干掘り込まなければならない)、(ロ)ピロテイー部分を1.6メートル削り、一、二階の階高を合計五〇センチメートル削る、(ハ)ピロテイーの高さを現状どおりとして二階建をやめ平家とし、隣接する相羽邸の敷地を一部借用して床面積を確保する等があること、右代替案を実行することは費用および技術上さして困難ではないことが認められる。

被告は、被告建物をピロテイー式としたのは、被告土地が北側道路より二メートル低いという地形の関係および湿気予防のためである旨主張するが、前段までに認定した事実関係のもとにおいては、必ずしも北側道路面と一階の床を同一の高さにしなければ被告建物の使用が著しく不便不利となるとは認められず、整地の規模、建物の堅牢さ等からすれば、自然雨水の排水等が問題になるとも考えられない。また、<証拠>によれば、被告土地は湿気が心配される気候状況になく、湿気予防のために床下を高くする必要はないことが認められ、被告建物が鉄筋コンクリート造りであることを考慮しても2.6メートルものピロテイー部分が湿気予防のために必要不可欠であるとすることはできない。

更に、被告は、被告建物と相羽邸との間隔を約一一メートルあけ、被告建物をその敷地の西側へ片寄せて建築し、原告建物の正面をあけてその間から海が見えるように配慮した旨主張するが、前認定のとおり、被告建物は被告土地の東西方向のほぼ中央に、原告建物の正面を被告建物東側半分の部分が塞ぐような形で建築されているのであるから、原告らの眺望を配慮したとは到底考えられない(<証拠>――相羽有作成の図面――は検証の結果に照らすと建物配置関係の表示が不正確であることが明らかであつて採用できない。)。

五被告建物による眺望侵害の不当性および被告の権利濫用

前段認定の事実を総合して考察すれば、被告は、被告建物を建築するに当り、原告らがそれまで享受していた眺望に対し、その侵害の程度を軽減するための配慮をなさず、原告らの申し入れに一顧をも与えず建築を完成させたものであつて、たとえ被告建物が建築基準法上は適法な建物であるとしても、その敷地の所有権行使につき、権利濫用があるものというべく、結局被告の行為は違法であり、これにつき少なくとも過失が存するから原告らに対する不法行為を構成する。すなわち、被告は専ら自己の眺望を確保するため被告建物を床下部分の高さ2.6メートルものピロテイー構造とし、一、二階とも東、南、西の三方に幅1.8メートルの大規模なバルコニーをめぐらし、建物自体を北側寄りに東西のほぼ中央に原告建物の正面を塞ぐ形で建築し、北側隣接地の原告建物からの眺望阻害の回避を全く考慮しなかつた(加害回避策が存在するにもかかわらずこれを考慮した形跡がない。)ものであるから、具体的状況のもとにおいて被告土地の所有権行使は一般に是認しうる程度を超えたものといわなければならない。そして、前記一2(二)のとおり、原告建物からの眺望は、被告建物によって大幅に阻害されることになつたものである等、その他、前記一、二に認定した原告側の事情に照らし、被告は、原告らの受忍すべき限度を超えて被告建物を建築したものというべきである。

六被告建物の収去請求について

そこで、さらに、被告の権利濫用が被告建物二階部分の収去請求を認容できる程極めて著しいか否かについて検討する。

眺望利益の侵害は日照、通風の侵害、騒音、空気汚染等のように住民の心身の健康を直接に脅かすものではなく、心理的充足感、愉悦感を阻害するにすぎないものであるから、建物収去によつて被告の蒙る損失と金銭賠償による原告の損害回復との利益較量によつてその可否が決せられるべきである。

検証の結果によれば被告建物が鉄筋を繋ぎ合わせたラーメン構造を基本としてそれらをコンクリートで固めたものであることが認められるから、その二階部分の収去は、被告建物全体の取毀し再築に匹敵する大規模な工事となり、被告に多大の損失を被らせるものと推認され、一方、原告らは損害賠償を得れば他に眺望可能の土地を取得して移転するか、もしくは精神的損害の回復を得ることも可能である。したがつて建物収去を求める原告らの主位的請求は失当というべきである。

七予備的請求について

1  謝罪広告

謝罪広告は、「他人ノ名誉」を毀損した者に対し、その名誉を回復するため最も適切である場合にのみ認められるところ、名誉とは、人に対する社会的評価であるが、本件の場合、被告建物が建築されたことによつて原告らに対する社会的評価が低下したとは認められないので、原告らの謝罪広告の請求は失当である。

2  損害賠償

(一)  財産的損害について

原告らは、原告ら共有地の地価が被告の不法行為によつて半減し、九〇〇万円の損害を被つた旨主張する。たしかに、原告ら共有地のごとく眺望の良さがその土地利用の大きな要素となつている地帯において、眺望阻害によつて右環境が悪化すれば、そのために地価がある程度下落すると推認できるものの、本件訴訟においては右数額を確定すべき資料は全く提出されていない。本件の場合、土地建物の所有者と居住者とが一致しているのであるから地価低下による財産的損害については、次の慰籍料額算定の際の一事情として考慮すれば足りる。

(二)  慰籍料について

本件における一切の事情を考慮すれば、被告建物によつて、原告らがその所有ないし占有する建物に居住して享受していた右眺望利益を違法に侵害されたことによる慰籍料は、後段認定の時効によつて消滅した部分を除いても原告ら各自につき一〇〇万円を下らないものと認められる。

八時効の抗弁について

被告建物の建築完成が昭和四六年一一月一九日であることは前段認定のとおりであり、原告らが建物の収去を求める本件訴を提起したのが昭和四七年一〇月三日であること、原告らが損害賠償を請求する予備的請求を記載した準備書面を裁判所に提出したのが昭和五三年三月三一日であることは訴訟上明らかな事実である。したがつて、原告らは、遅くとも本件訴を提起した昭和四七年一〇月三日には損害および加害者を知つていたものと認めるべきところ、本件のような眺望侵害による不法行為は、被告建物が存続し続ける限り継続し、日々新たな不法行為に基づく損害が発生しているから、消滅時効については、各損害につき別々に進行するものと解すべきである。よつて、前記慰籍料およびそれに対する遅延損害金の請求権は、原告らが損害賠償請求を記載した準備書面を裁判所に提出した昭和五三年三月三一日より三年以上前の部分については時効によつて消滅しているが、昭和五〇年三月三一日以降の分については消滅時効の進行が停止し、現にその請求権は存続しているわけである。

九結論

以上の次第で、原告らの主位的請求ならびに予備的請求中の謝罪広告を求める部分および昭和四七年一月一日から昭和五〇年三月三〇日までの損害金の請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、予備的請求中、原告ら各自に対し各金一〇〇万円の慰籍料の支払を求める部分および右金員に対する不法行為発生の日の後である昭和五〇年三月三一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるからこれを認容し、訴訟費用については、民訴法八九条、九二条但書、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(田中恒朗 田中昌弘 梶陽子)

物件目録

横須賀市野比字松葉二一八〇番地二所在

家屋番号 二一八〇番二

鉄筋コンクリート造陸屋根二階建居宅

床面積

一階 113.48平方メートル

二階 112.28平方メートル

謝罪広告<省略>

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